この世の幸福のさじ加減は銀行次第?
ずっとずっと昔、人々は互いに協力しあって生きていた。山で獣を追うのも、雨風をしのぐ家屋を建てるのも、さらに田んぼで稲を刈るのもそうだった。協力すれば、それだけ多くのことができるし、みんなが豊かになれる。逆に喧嘩ばかりしていたら、みんなが困るし、貧しくなるーー。そこにあるのは、子供でも理解できるきわめてシンプルな原理であった。
ところが、時代がくだるとそこにお金というものが入ってくる。人々はお金をもって労力や生産物を交換することを覚えはじめた。事実、それはとても便利なものだったし、実際それは非常にうまく機能した。やがて貨幣は、人々の交換を仲立ちするたんなる道具から、それを持つことでなんでも手に入れることのできる魔法の道具へと変わっていった。お金をためこむ人があらわれた。
だが、お金は本来、交換の仲立ちの道具にすぎない。それをためこめばためこむほど、交換に必要なお金の量は減っていく。やがて、コミュニティはお金不足という深刻な問題に直面することになる。
お金が足りなければ、あまっている人のところから借りてくるしかない。けれど、お金をこつこつとためこんだ人がなんの代償もなしに貸してくれるはずがない。そうして、そこに利子が発明され、お金を貸し出す専門機関としての銀行が誕生した…。
いっぽう、お金が人々の心を支配すると、人はお金なしにはなにもできないと信じ込んでしまった。しかも、お金はすでに銀行が独占的に支配している。もちろん人々はいまでも、その気にさえなれば、互いに助け合うことで互いの人生の労苦を軽減することができる。だが、人々は、いまや協力しあうにもまずお金がなければならない、と思い込んでしまった。お金なしに互いに助け合うことなどできるはずがない、そう信じきってしまった人々にとって、人生の労苦はいわば銀行のさじ加減ひとつにみえる。そう、銀行はいまや中世ヨーロッパの教会のような存在となってしまったのだ。その昔、天国での幸せは、教会が独占的に提供できるものだった。しかし、いまやこの世の幸せは、銀行が独占的に提供できるのである…。